ホーム › 世界に繋がる香川

世界に繋がる香川

掲載は休止中です

2016年11月16日

これまで、ご愛読いただきありがとうございました。

ただいま、掲載を休止中です。また、掲載が始まりましたら、コラムを覗いていただければうれしいですconfident

有限会社たも屋 代表取締役 黒川 保さん

2014年2月 3日

「讃岐うどんを通して、世界に『笑顔と元気と幸せ』を届けたい!」
                               たも屋 代表取締役 黒川  保さん
 
店内はいつもお客さんで賑わう讃岐うどん専門店の「たも屋」。たも屋独自のプライベートブランド
(厳選した小麦粉を3種類ブレンド)を使用した讃岐うどんは、ファンを魅了して止まない。そんな
たも屋がシンガポールに進出!讃岐うどんの世界進出に大きな役割を担っている黒川保社長に
話を伺った。

Mr. Kurokawa.jpg

香川県内に限らず、県外にも進出している香川の人気うどん店『たも屋』。そんな『たも屋』がこの度、
シンガポールに進出。今年の3月にフランチャイズ(FC)1号店をオープンしてから、7月に2号店、
12月には3号店を開店。着々と店舗を増やしている。そんな『たも屋』に「海外進出の背景は?」「なぜ
シンガポールに進出したのか?」「今後の店舗展開は?」など海外進出について話を伺った。
 
Q.海外に進出しようとしたきっかけは何ですか?
- 4年程前に、中国と貿易をしている企業に同行して中国に視察に行ったことがあります。
その時、中国でうどんを売る可能性について話をしたのですが、それが海外進出を意識する
きっかけになりました。ただ、海外進出はなかなか実現しませんでした。

今回、シンガポールに出店することになった大きなきっかけは、フランチャイズのマッチングを
している東京にある企業との出会いです。その企業は、自社でも海外で事業展開したいという
考えを持っていました。日本食の海外でのマーケットの有無、海外出店のリスクなど出店に
かかる可能性を確かめるためです。

そこで、私自身も、シンガポールに足を運んでみたのですが、外食産業の可能性を大きく感じ
ました。この国でならいけると思い、当店のフランチャイズ店をシンガポールに出店して現地
法人を設立したのです。

Q.シンガポールのどのような部分に可能性を感じたのですか?
- シンガポールは、アセアン地域のハブになっています。おいしいJAPANに出展した時、周囲
のアセアン諸国からバイヤーがシンガポールにたくさん来られていました。また、周辺諸国から
シンガポールのお店まで足を運んでいることを知りました。東南アジアの中心に位置するシンガ
ポールの「地の利」に可能性を感じたのです。

また、シンガポールでは、自宅ではあまり食べない習慣が定着しています。外食文化の国なの
です。シンガポールに滞在していた1週間、2日間かけて中心街の飲食店を見て廻り、うどん屋
さんも見たのですが、すごい人出でした。これはいけると思いました。 

Q.お店の場所はどんな所なのですか?
- 1号店は、日本のスーパーや書店も入っているリャンコートショッピングセンターに構えることに
しました。前にその場所に出店していたお店は、ビジネスを拡大させ、別の場所に移転したと聴き、
ここがいいと思ったのです。前店のビジネスが成功している場所がいいですからね。
2号店は、チャイナタウンに、3号店はユナイテッド・スクエアに出店しています。

tamoya in singapore.jpg

Q.シンガポールでのビジネスの手応えはどうですか?
- シンガポールでの手応えは大きいですよ。この国では日本食や日本の製品に対する関心が高く、
日本食が高級料理のように扱われています。ラーメンやうどんも高級料理のように扱われていて、
その中で低価格で提供させていただいています。

Q.シンガポールのお店で扱う讃岐うどんの味はどのようなものですか?
 - 「たも屋」の麺は、プライベートブランドの小麦粉を使用した無添加の自家製麺なのですが、それ
を日本から直送しています。日本のうどん職人が手間ひまかけて作った麺をシンガポールでも味わ
っていただけるのが強みです。

また、香川県伊吹産のイリコと鰹節の一番だしを使用した自慢のだしも日本から直送しています。
シンガポール人用にアレンジした味ではなく、日本の讃岐うどんの味をそのままシンガポールで
味わっていただけるというのが当店の特長ですね。 
 
Q.今後のビジョンについてお聞かせ下さい
- 店舗を海外で500店くらいにまで増やしたいと思っています。うどんを食べて美味しかったという
笑顔を世界中に広げたいです。海外でのお店を拡げる一方で、私自身は日本で地道にうどんを
作っていきたいですね。

人様のお役に立てるようなうどんを作っていくためにも、さらに美味しいうどんを深堀りしなければ
いけません。人を笑顔にし、人様のお役に立てるようなうどんを作り続けたいですね。

Prof ile
黒川 保 
1962年3月6日生まれ。高松市出身。O型。香川県立高松東高校を卒業後、
ナショナルの販売会社に入社し、営業や倉庫番などに従事。1986年には、
パブを経営し、 1996年にパチンコ店の中に一坪のうどん屋台をオープン。
うどん職人の一歩を踏み出した。5年後の2001年には、たも屋を朝日新町
にオープンし、次々とたも屋の店舗を拡大。現在に至る。

たも屋 本店
香川県高松市林町6-38
TEL :0120-927-624
HP:http://www.tamoya.com/

しごと探しはしごとマルシェで(^o^)丿
http://4510marche.jp/

有限会社 協同回収 小野 真一さん

2014年1月24日

「社員も会社としての器も共に成長する会社を目指して」

Mr. Ohno.JPG

有限会社協同回収は、金属スクラップや使用済み小型家電をはじめ、総合的なリサイクルを
手掛けている。また、障がい者の就労機会を拡大するため、積極的に障がいを持つ人達の
雇用を行っている。今回は就労者に焦点を当てて話を伺ってみた。

Q.リサイクル事業を始めた理由は?
- 弊社、代表である柴田が協同回収を創業したのは二十一歳の時です。
当時、家庭の事情で勤めていた会社を辞めなければならなくなり、トラック1台で創業したそうです。
生業として直ぐにお金になる現金商売であり、今後も世界経済が発展する中で資源をリサイクル
するという仕事は将来性もあると感じ、協同回収を立ち上げたそうです。
 
私自身は、柴田に出会った時は、別の会社の社員としてパソコンサポートの仕事をしていたのですが、
柴田から話を聞き、リサイクルは今からの仕事だと思いました。

また、柴田の人柄に惹かれ、柴田の良い所をそばで見て吸収したいと思い、入社を決めました。
 
Q.毎月集まるリサイクルの量は?
- 例えば、金属スクラップは月間で約二千トン、一日で約百トンの資源物を集めていますが、鉄が一番
多いですね。トタンのような鉄から家庭にあるジュース缶、ペットボトル、アルミ缶、また農機具や大きな
モーターが付いたような産業機械も含めると約三百種類の資源を回収しリサイクルしています。

毎日ホームページで解りやすく買い取り価格を公開しています。一般のお客様から企業まで現在では、
一万件以上のお客様がご利用してくださっています。弊社の強みは、パソコンなどの基板が付いたものを
分解リサイクルする技術です。西日本全域より回収し、遠い所では島根県安来市から処理の依頼があり
ます。島根県安来市では行政が集めたものを協同回収で処理しています。安来市を含め、中四国では
このリサイクルの技術が珍しく、香川までリサイクルに持ってきていただけるようになりました。
 
Q.リサイクル後に残る物の処理は?
- 回収したものは約98%再資源化されています。
しかし、残念ながらどうしてもリサイクルできないものは最終処分となる埋め立て処理されています。
 
Q.障がい者の方々はどのような仕事をしているのか?
- 弊社では55名の社員が働いているのですが、その内、障がいのある方が17名在籍しています。
3か月間のトライアル期間を経て正式に採用が決定されます。先ほど見ていただいたベルトコンベアーに、
10数名が交代で流れてくる金属スクラップを分類します。

実は、障がい者の雇用が始まる前は、自分よりも手際は悪いのだろう・・と思っていた部分がありましたが
彼らは人一倍集中力があり、コツコツと一生懸命に作業をこなしています。

私だったら集中力が切れてだらけてしまうことをずっと集中して取り組んでおり、健常者以上にすごいと
尊敬しています。
 
Q.障がい者の仕事に対する熱意の理由は?
- 彼らは、就職する時に、人の役に立ちたい、社会の一員として働き、自分の力で生活していかなければ
ならないことを理解しているんです。生きていくために仕事が必要であることを知っているので、働くことに
対して真剣です。

ここで給料をもらって生活していかなければいけないという思いが強いのです。
仕事の能力は変わらなくても、彼らは仕事に対して真摯に向き合っています。

Q.障がい者の方々と一緒に働いて感じることは?
- 一生懸命にコツコツと働く彼らの姿を目の当たりにし、これだけマジメに働いている人達の仕事を
無くさないように頑張らなければいけないと感じています。社長も、障がい者の仲間たちの雇用を
守らないといけないと思うと頑張れると常日頃言っています。
 
Q.若い人達の離職率の高さについてどう思いますか?
- 実は、私自身、これまで4回転職を経験しているのです。そのため、離職について何か言える立場
では無いのですが、障がいを持った方々の存在が私にとってここで働き続ける原動力になっています。
彼らが仕事を続けられるように、営業として自分が仕事を取らなければいけないと責任を感じ、頑張れ
ているのです。

我社では、離職率の低下を図る一つの取組みとして、社内のコミュニケーションを活発化する取組みを
行っています。人間関係が良くないと組織は成り立ちません。また、月に一度は各部署で会議を行い、
その後に部署毎で食事の場を設けています。さらに、年に二度は全社員が集まって、一年間の経営
方針発表会と振り返りを行っています。

個人的にも、積極的に若手のメンバーを食事に誘いコミュニケーションを図っています。
『同じ釜の飯を食う仲間』意識の形成のためにも食事を通じたコミュニケーションは大事だと思っています。

1. mount of scrap.JPG
                        山盛りとなったスクラップがリサイクルされると資源に生まれ変わる!

2.belt conber.JPG
                                       ベルトコンベアーの上を流れるスクラップを分類。この作業には障がい者も大活躍している。

小野 真一 さん 
三豊市高瀬町に生まれる。詫間電波高専卒業後、プログラマーを経て
営業に転職。2007年5月よりリサイクル業の会社に入社。リサイクル業
の営業として徳島県・高知県・香川県の営業と、広報活動に努める。
取材・講演経験多数。

有限会社 協同回収
詫間経面工場
香川県三豊市詫間町詫間2112-167 
TEL.:0875-83-5252  FAX:0875-83-3711
HP:http://www.9410.co.jp/

しごと探しはしごとマルシェで(^o^)丿
http://4510marche.jp/

英語版:
Main business activities of Kyōdō Kaishū are recycling of PCs, server, old tires and
motorsand various metals, such as gold, copper, iron, etc. In addition, actively expanding
employment opportunities for people with disabilities.

This time’s interview is focused on the workers.

Q: What was your intention to start work in a recycling company
- Mr. Shibita, the President of Kyodo Kaishu, was in his 20s, when he had to quit his old job
because of family circumstances. He established this company with only one truck.

When he launched this business, he was also thinking about the global future and that there
will be massive developments all over the world in the development of recycling.

When I met Mr. Shibita for the first time, I was working as programmer and computer supporter.
The more I heard about Mr. Shibita and Kyodo Kaishu’s story, the more I was fascinated by the
person and also by the recycling business. That was the time, when I realized the importance
of recycling and entered Kyodo Kaishu.


Q: How much do you collect every month?
- Every month we collect around 2000 tons of metal scrap, for example. In general we collect
around 100 tons of different resources each day, but the most is metal scrap. Besides that,
we collect and recycle more than 300 different kinds of resources, starting from aluminum
cans and PET-bottles, over to zinc, home appliances, industrial machinery motors, etc.

We publish our purchase prices every day on our homepage. And we are very proud to have
served more than 10.000 customers.
Our company's strength is our technology of recycling
the circuit boards from computers, household appliances, etc.

We operate through-out the whole western part of Japan, and even get requests from far
places such us Shimane Prefecture. In Shimane Prefecture we even work with the government
together and process their collected material.
Because of our rare recycling technology, we get
recyclable material from all over Shikoku.


Q: What happens with the parts which cannot be recycled?
- We are able to recycle up to 98% of all the collected parts.
The few which cannot be recycled are brought unfortunately to the landfill.


Q: I heard that your company is very supportive towards people with disabilities.
I would like to hear more about that.

- Our company has a total of 55 employees and 17 (~30%) of them are people with disabilities.
All employees have a probation period of 3 months.
Honestly speaking, at first I was thinking
that people with disabilities would not be able to perform their tasks as good as people with no
disabilities, but I was put right, since they were working even better. The level of concentration is
even higher than mine and there is a strong willingness to work.


"Q: How would you describe the motivation of your employees with disabilities towards their job?
- Our employees with disabilities know indeed very well about the importance of earning money.
They take their work very serious in order to earn money for their living.
The working ability might
be the same, but the sincerity and earnestness - in a positive way - is completely different.


Q: Is there any difference when working with people with disabilities?
- I can witness the diligent and hard work of our employees every day. And for not loosing their
job, the employees give their best every day.
The company's President and I will definitely keep
up our support!


Q: I heard that there is a high turnover rate among young people. What is your experience?
- Since I changed my job already 4 times until now, I cannot say anything about turnover among
the youngsters. For me, the presence of our employees with disabilities has become the driving
force for staying and continuing the work here. I think that we all have responsibility the keep up
the work and to create work opportunities and not see the work only as a business for making money.


To prevent retireresign, I try to activate communication within the company. When human relations fail,
then also the whole company will fail. There are also meetings every month in each office, followed by
lunch together. Furthermore, we have a presentation of our management policies every year for all of
the employees.

I try to go out for lunch with the youngsters as much as I can to show them their belonging to our
company. For that we have a saying: “Eating out of the same pot!”. I think this is very important and
assists communication within the company.

Mr. Shinichi Ono
- Born in Takazecho, Mitoyo
- Graduated from Takuma National College of Technology, worked as programmer
- Entered Kyodo Kaishu, Ltd. in May 2007
- Recycling business operations and public relations in Tokushima Prefecture, Kochi Prefecture
 and Kagawa Prefecture

- High reseach and lecturing experiences

Kyodo Kaishu Ltd.
Mitoyo City, Kagawa
TEL: 0875-83-5252
FAX: 0875-83-3711
HP: http://www.9410.co.jp/

 
 

非営利株式会社 ビッグ・エスインターナショナル 代表取締役 大坂 靖彦さん

2014年1月17日

「自分の人生は自分の思い通りになる!」
 
非営利株式会社 ビッグ・エスインターナショナル 代表取締役 大坂 靖彦さん

Oosaka shacho.JPG

ケーズデンキの地域店として四国四県と岡山に事業展開してきた株式会社ビックエス。
同社の代表取締役会長を退任し、非営利株式会社ビッグ・エスインターナショナルの代表として、
日独の国際交流や文化交流、人財育成などに精力的に取り組む大坂社長。そんな大坂社長は
大学生時代にはヒッチハイクでヨーロッパを旅したという面白い経験の持ち主でもある。そんな
大坂社長に若かりし頃にスポットを当てて話を伺った。

Q.どんな子ども時代を過ごしていたのですか?
- ごく普通の子どもでしたよ。悪がきのトップではなく、弱虫の方のトップでした(笑)。仲間を集めて
運動会をしたことがあるんだけど、家にあった乾電池を持ちだして賞品にした時には、親父に怒られ
ましたよ。5、6人くらいの中で威張るのが大好きで、小がきだったかな(笑)。

Q.中、高校生の頃はどんな風に過ごしていたのですか?
- 中学生の頃から、海外での生活に憧れていましたね。当時、両親は電気屋を営んでいたのですが、
お客さんが帰るまでお店を閉めず、終業時間が決まっていない生活でした。家族旅行に行ったのは
一度だけです。アメリカの映画で、週末にパーティをしたり大きな家に住んでいるのを見て、あの世界
に行きたいと強く思ったんです。

ただ、高校時代、英語の成績はちょうど真ん中(笑)。上智大学や東京外大に行きたかったのですが、
実力的には相当無理がありました。そのため、英語ではなく、ドイツ語で受験しようと決めたのです。
大学の過去問題集を取り寄せた所、ドイツ語だったら受かるのではという希望が抱けたんです。

高校時代の3年間は大手前高校でクラスで4~5人、ドイツ語での特訓をしていただき、上智大学に
合格することができました。大学入試の成功体験から、戦略があれば成功に導けるということを学びました。

Q.大学生時代についてどうですか?
- 大学時代にドイツに留学したいと思い、スピーチコンテストや留学試験を受けたのですが、受かりません
でした。奨学金で留学できないのであれば、自分の力で行きたいと思い、ヒッチハイクで旅行することに。
お金が無いので、アルバイトで貯めた300ドルだけを持って、横浜港から船でロシアに渡りました。そして、
バイトをしながらヒッチハイクでヨーロッパの国々を旅しました。
 
Q.旅行中は大変な苦労があったのではないですか?
- アルバイトをしながら食い繋いでいたので本当に苦しかったですよ。お金が無く、食べ物もろくに食べて
なかったですからね。コッペパンと紅茶のティバックを買って、露店でお湯や砂糖を無料でもらって飲んだ
こともあります。

金銭的にも精神的にも本当に辛かったけど、夢を実現するための基礎作りをしているんだという思いで
踏ん張りましたよ。そういう思いがなければ、崩れそうでした。国費留学で来ている奴らにできないことを
自分はしているんだと自分を鼓舞して日々を過ごしていました。

大変だったのは、観光ビザで働いていた所を警察に通報されて強制送還になりそうになった時です。
「私には夢があるんです。その夢を叶えるためにヒッチハイクまでして来ている私に帰れと言うのですか?」
と必死で訴えました。そしたら、労働許可証を発行してくれたのです。留学時代の経験を通して、何事も全て
志が大事で、人生は自分が思い描いた通りになるんだと学びました。 
 
Q.そこまで頑張れた原動力は何だったのでしょうか?
- 学生の頃に、ポール・J・マイヤー氏の「君の人生は君の思い通りになる」という文章に出会ったことが
大きかったですね。生涯をかけてなりたい自分像があったので、頑張れたのだと思います。目の前に
試練が現れる度に、この試練をこなさないと次に進めない「神様のテスト」だと考えました。

「こいつ行けそうだな!」と神様が自分を認めてくれると厳しい試練を与えてくれるのだと思うようにしたんです。
 
Q.若い人達にメッセージを一言お願いします! 
- 君の人生は君が思い描いた通りになります。
私自身、ポール・J・マイヤーの言葉に大きく影響され、学生の頃から将来のビジョンを持ち、人生の設計図
を描きました。現在の立ち位置からビジョンに達成するために必要な情報を徹底的に収集し、現状とビジョン
のギャップを一つ一つ埋めていくことによって夢を実現することができるのです。

セレンディピティという言葉がありますが、人生をどう捉えるか、どのような人生設計を持つかによって、運に
巡り合えるかどうかが大きく変わってきます。自分の志が明確であれば、映画やテレビからもヒントやアイデア
を得ることができます。

さらに、弱みの中に強みを見出すことができます。私自身は、体が弱く、弱者であったことが自分のストロング
ポイント(強み)になったと思っています。弱いからこそ、ビジョンを掲げ、達成するために必要な情報を徹底的
に収集し、反骨精神で取り組んできました。

ビジョンを持ち、達成するまでの設計図を描いて欲しいですね。そして、直面する苦難は自分を試す試練だと
思って、やりぬいて欲しいですね。
 
Prof ile
大坂 靖彦
1944年 浜松市生まれ。大手前高校卒業。上智大学卒業後、松下電器産業
(現パナソニック)に入社し、ハンブルク松下電器(ドイツ)へ海外研修生
として赴任。1972年に家業の大坂屋に入社し、マツヤデンキ、ビックエス、
ケーズデンキへと企業を成長させる。2007年に非営利株式会社 ビッグ・
エスインターナショナルを設立し、代表取締役として現在に至る。
株式会社大坂塾 塾長として中小企業の経営者171社を指導。
 
ドイツの館
高松市扇町2-6-5
TEL :087-823-2626/FAX:03-6745-1494
http://www.bigs-i.com
 
東京オフィス
東京都江東区有明1-4-11-3217
TEL:050-5505-1006/FAX:03-6745-1494

ドイツ語版 -
~ドイツ語版は、以下の方々の協力により翻訳されています。
  非営利株式会社ビッグ・エス インターナショナル 平賀真由美さん
  ヴァーチェ・シルヴァニアン(インターンシップ生)

Q: Wie haben Sie Ihre Jugend verbracht?
- Ich hatte eine recht gewöhnliche Kindheit, nichts aufregendes. Ich gehörte eher zu
denschwächeren Kindern und bin nicht die Spitze der Lausebengel, sondern die der
schwächere Kinder.  Mein Vater hatte schon damals ein Elektronikgeschäft und zu
Hause waren immer Elektronikartikel verstreut. Obwohl mich das immer aufgeregt hat,
habe ich es mir nicht nehmen lassen vor meinen Freunden damit anzugeben.

Vor meiner Studienzeit habe ich mir immer amerikanische Filme angeschaut.

Ich war fasziniert von den Partys an den Wochenenden, den großen Häusern und den
schönen Swimmingpools und habe angefangen von solch einem Leben zu träumen.
Trotzallem hatte ich keine guten Englischkenntnisse und wurde somit auch nicht an
der Sophia Universität in Tokyo angenommen.

In der Zeit an der Otemae High School hatte ich zum Glück Deutsch als Fremdsprache
gewählt und konnte somit eine Aufnahmeprüfung in Deutsch machen. Ich habe dann 3
Jahre lang intensiv Deutsch gelernt und konnte dann auch die Aufnahmeprüfung bestehen.

An diesem Punkt habe ich dann auch gelernt, dass eine Strategie im Leben einen auch
zum Erfolg führt.

Als ich ein Student war, habe ich einen Redewettbewerb sowie eine Prüfung des Studiums
im Ausland versucht , weil ich unbedingt in Deutschland studieren wollte. Aber habe ich leider
nicht geschafft. Deswegen habe ich die Reise per Anhalter beschlossen.

Zu dieser Zeit hatte ich keine Freundin. Dies nahm ich zur Gelegenheit um ins Ausland zu gehen.
Von Yokohama aus fuhr ich mit dem Schiff bis nach Russland und mit der Transsibirischen
Eisenbahn weiter nach Moskau.

Da ich Student war und auch kein Geld hatte, war ich gezwungen meine Reise per Anhalter
fortzusetzen. In Deutschland angekommen, habe ich dann auch einige Zeit schwarz gearbeitet,
Geld zu verdienen. z.B., In einer Grundschule Dias zeigen und Tellerwaschen in einem Hotel.

 Es war sehr schwierig die Behörden zu überzeugen mir eine Arbeitserlaubnis zu erteilen. Als ich
den Behörden von meiner Leidenschaft zu Deutschland erzählte, konnte ich die Ausländerbehörde
auch davon überzeugen mir die Arbeitserlaubnis auszustellen.

Danach fing ich an bei der „Jenaer Glaswerke“ in Mainz zu arbeiten und bekam auch meinen ersten
offiziellen Lohn über 300 Deutsche Mark.

Einige Zeit später war ich zum Essen beim Deutschen Botschafter eingeladen und erzählte ihm von
meinen Erfahrungen und Schwierigkeiten per Anhalter durch Europa zu Reisen und dass ich mich in
Deutschland verliebt hätte. Er war sehr beeindruckt und gerührt von meiner Geschichte.

Q: Wie hat die Zeit in Europa Ihr Leben beeinflusst?
- Studenten, die sich zu jener Zeit bei Matsushita Denki bewarben, mussten durch einen sehr schwierigen
Auswahlprozess, dem zunächst ein Eignungstest vorausstand. Als ich mich damals bewarb, hatte ich sehr
viel Glück und wurde nur zu einem Interview mit dem Personalabteilungsleiter eingeladen.

Meine Erfahrungen in Europa und die Schwierigkeiten die ich in dieser Zeit zu bewältigen hatte, haben
ihnsehr beeindruckt und so wurde ich auch eingestellt.

Nach 5 Jahren bin ich dann aus Matsushita Denki ausgetreten und habe mir aufgeschrieben, dass ich
Schrittfür Schritt auf ein Unternehmen abziel, das 10 Mrd. Yen verkaufen kann. Zu dieser Zeit habe ich
auch mit dem Spirituosen Handel angefangen und habe seit dem über 190 Tsd. Flaschen deutschen
Wein importiert.

Jedes Jahr denke ich über neue Ideen nach und wie ich diese erreichen kann. Ich denke, dass man
ohne Träume im Leben nichts erreichen kann und auch nicht zum Erfolg gelangt.

Q: Es erfordert sehr viel Mut per Anhalter durch Europa zu reisen. Was waren Ihre Erfahrungen und
die größten Schwierigkeiten?

- Den Aufenthalt im Ausland in einem Jahr habe ich mich schwer endschieden. Außerdem hatte ich
kein Geld und konnte nur 300 Dollar sparen,obwohl ich gearbeitet habe. Deswegen habe ich die
Reise ein Dollar pro Tag als Budget durchgeführt.

Unterwegs der Reise per Anhalter als ich kein Geld hatte, hatte ich Brot und Teebeutel bekommen
und sonst netterweise im Café heißes Wasser bekommen.

In Deutschland habe ich dann Nachtschicht in einer Fabrik für braunsche Röhren gearbeitet, was
sehr schweißtreibend war. Finanziell und psychisch gesehen war es eine sehr taffe Zeit, aber ich
nahm diese Erfahrungen als Grundlage um meine Träume zu verwirklichen.

Hätte ich nicht diese Erlebnis gehabt, so hätte ich schon längst aufgegeben und wäre nicht das
jetztige Selbst.

Jede neue Schwierigkeit und Hürde sah ich als Gottes Test. Ich wusste, dass das Bestehen dieser
Tests mich zum Erfolg führen würde.Ich habe dann ein wenig Geld gespart und konnte somit auch
einen Deutsch-Intensivkurs in Radolfzell am Bodensee belegen.

Q: Wann haben Sie zum ersten Mal über einen Lebensplan nachgedacht und was waren die ersten
Schritte?

- Mein Lebensplan begann so richtig als ich Oberstufenschüler war und beschloss ins Ausland zu
gehen. Ich hatte meine Vision schon seitdem ich Student war und habe immer versucht diese zu
erreichen. Als nächstes hatte ich dann beschlossen in Matsushita Denki einzutreten und in
Deutschland zu arbeiten.

Q: Was denken und fühlen Sie, wenn Sie an Deutschland denken?
- Deutschland,für mich bedeutet“Wetzstein”. Die Erfahrungen in Deutschland haben mich sehr
geprägt und haben mich zu der heutigen Person gemacht. Wann immer ich Erholung benötige
und Energie auftanken möchte, besuche ich meine Freunde in Deutschland.

Als ich als Student nach Deutschland ging, hat das Land mein Herz berührt und ich habe mich in
Deutschland verliebt. Ich habe sehr viel Hilfe und Unterstützung erhalten und habe immer versucht,
so viel wie ich kann zurückzugeben.

Um meinen Dank auszudrücken und all die Unterstützung zu erwidern, versuche ich Menschen,
die Japan besuchen möchten, zu unterstützen. Ich möchte aus diesem Grund zum Kulturaustausch
beitragen und veranstalte so oft ich kann Deutsche Weinabende. Sonst als zentrale Anlaufstelle für
Gastaufenthalte habe ich daher in der Stadt Takamatsu die Deutsche Hütte eröffnet.

Q: Herr Osaka, meine letzte Frage. Hat Ihr Firmenname „BIG S“ eine Bedeutung?
- „BIG -S“ bedeutet „big slope“. Das heißt „Osaka“ auf Japanisch. Der Name spiegelt meinen
persönlichen und geschäftlichen Aufstieg wieder.

 
 

行政書士はまもと国際法務事務所 濱本和重さん

2013年11月22日

行政書士はまもと国際法務事務所 所長
濱本和重さんにインタビュー

Mr. Hamamoto.JPG

Q: はまもと国際法務事務所ではどのようなサービスを提供していますか?
- 一般的な行政書士としての業務、例えば相続、法人設立、建設業・農地転用・飲食店営業許可、入管手続きの他、「お金」と「不動産」の法務全般に関してサービスを提供しています。法人経営サポートとしては、法人設立、就業規則や会計記帳のご相談から、経営についての細かな支援をグループの弁護士・税理士・司法書士・社労士等と一緒にさせていただいています。

 また、遺言状、遺産分割協議書、内容証明や契約書、離婚協議書などの書類作成のサポートなど、とにかく行政書士は守備範囲が広いですので、法務関係の「何でも屋」のようなものですね。同じ事務所で「不動産業」と「ファイナンシャルプランナー業務」も行っており、不動産賃貸・売買の仲介から海外不動産、住宅ローンの相談や資産運用相談、保険見直し相談なども行っていますよ。

Q: 「国際」と銘打っているのは理由があるのですか?
- 業務の中に、海外関係の書類作成業務、入管手続き業務等があります。この分野を今後も力を入れてやっていきたいですね。海外にも拠点があり、お友達も多いことから、国際的な書類作成、国際的な不動産取引、国際的なファイナンシャルプランニングが得意とする業務になります。

Q: 具体的には海外に関わるどのようなサービスを提供していますか?
- 海外で銀行口座を開設する場合に必要となる英文書類やパスポート認証書類の作成等も多いですね。また、英語と中国語の翻訳・通訳、海外での銀行口座開設、法人設立のアテンド等も行います。香港や上海、澳門、珠海を中心に、年間1ヵ月くらいは海外で仕事していますね。また、証券会社、保険会社、銀行、カジノ、現地オフィス等での勉強会を含む、経済視察ツアーを開催したりもしています。

Q: 国際法務に携わる仕事としてはどのような依頼が多いですか?
- 日本人が外国で必要となる書類作成の依頼が多いですね。例えば、日本人が海外で銀行口座を開設する時や何か契約書類を交わす場合、英文での人物証明や居住証明の書類作成が必要となるケースがあります。免許証やパスポートが身分証明になるのですが、それらは日本語で書かれているため、英語に翻訳し、しかるべき職業の者が認証する必要があるのです。

また、日本の企業が海外から技能実習生を受け入れる際に必要な書類の作成等も行っています。外国人の就労、帰化や国際結婚に関する書類作成もサポートします。

Hamamoto office.JPG

Q: なぜ、お金と海外に関わるサポートをしているのですか?
- 20歳の時に就職したアパレル会社で、香港に買付に行ったのが初めての海外です。その後、フリーライター時代にも雑誌の取材旅行等でアジアはよく行っていましたね。ファイナンシャルプランナーとして業務を始めて、お客さんからの要望で、自分自身がやっているお金のリスクヘッジ、運用等についての情報を提供するようになりました。海外での不動産投資や口座開設、金融の情報についてですね。田舎ですので、海外と言うだけで、まだまだ怪しいイメージがあった時代からです。確かに怪しい話も入ってきますが、もちろん合法的な手段しかお教えしませんよ。(笑)

簡単に言うと、「世界に流通する通貨から見れば日本円はわずか数%です。その数%の日本円を信じてご自身の資産の100%を保有するのは、ファイナンシャルプランニングの基本から考えると、リスクになりますよ」という話です。

Q: 東京から香川に帰郷しようと決心した理由は何ですか?
- 司法書士や不動産鑑定士をしていた兄の事業を手伝うために帰って来たんです。香川に帰郷してから、行政書士、宅地建物取引主任者、ファイナンシャルプランナーの資格を取得し、独立して行政書士と不動産とファイナンシャルプランナーの事務所を立ち上げました。

Q: 香川で国際関係の仕事をする上でどのような課題がありますか?
- 飛行機のアクセスが悪いことですかね。関空までも遠いですから。ただ、春秋航空を使えば上海まで往復2万円で行けますし、高松からの韓国便、台湾便などもあるので、昔に比べれば非常に便利になったと思います。海外業務はメールやスカイプを使っての打ち合わせも多いので、そんなに苦にはならないですよ。

Q: 今後のビジョンは?
士業に相談に行くのは敷居が高いと感じて、放置している間に取り返しがつかなくなる事案も意外に多いんです。そういう方々から気軽に相談を受けられるような、そういう事務所にしたいです。それと、専門家の我々にとっては大きな問題ではないことも、悩んでいる当事者の方々にとってみれば夜も眠れないほど心配な問題だということもあります。当事者の立場を理解した上で、専門家として適切なアドバイスをできるよう心掛けています。

また、当事務所のモットーは、『法律は、必ずしも弱い立場の人を守らない。知っている人のみを守る。だからこそ、知っている者の義務として、自分の顧客は全力で守る』というものです。「知らなかった」。 ただそれだけで、不幸になってしまうのが情報弱者です。有益な情報を発信し、そういった方々に対して何かお役に立てるような仕事ができれば、これほど嬉しい事はありません。まずは来年の春頃に、相続問題等を気軽に相談できる、そういった仕組み作りをやっていこうと思っています。あと、海外の情報を利用したビジネスも継続してやっていきたいですね。

濱本和重
行政書士はまもと国際法務事務所 所長
株式会社はまもと不動産 代表取締役
ハーモニーアセットFP保険事務所 代表

行政書士、ファイナンシャルプランナー、不動産コンサルティングマスター。香川県坂出市出身。
丸亀高校卒業後、東京にてアパレルメーカー海外買付、フリーランスの海外特派記者等を経験。
香川に帰郷後、司法書士・不動産鑑定士事務所、大手不動産会社等勤務後独立。
多彩な人脈・経験を活かした「不動産」と「法律」と「お金」のスペシャリスト

HP: http://www.hmmt-gff.com/
 

しごと探しはしごとマルシェで(^o^)丿
http://4510marche.jp/

 

Public Notary Hamamoto International Legal Affairs Office
Interview with Mr. Kazushige Hamamoto, Head of Office

Q: Which services does the Hamamoto International Legal Affairs Office provide?
- We provide general public notary services, such as support for inheritance matters, enterprise establishment, land and construction matters, permits and licenses for restaurants, and also immigration matters. Besides that, we provide support in legal affairs regarding investment and real estate.

Regarding to enterprise management support, we have a group of attorneys, licensed tax accountants and judicial clerks who will give detailed assistance.Regarding to legal affairs, we provide "all-round" service for preparing and certificating of official documents such as last will and testaments or divorce papers.

In the same office, we also conduct real estate and financial planning services. These contain counseling for real estate renting or trading, investments overseas, housing loans, asset management and the necessary insurances.

Q: What is behind “International” in your company’s name?
- We counsel businesses who want to go or open subsidiaries overseas and also in immigration procedures. This is also the field in which I want to concentrate in the future. I have a lot of friends overseas and they often need support for preparing their paperwork or when doing international real estate trading. I also advise people who intend to invest overseas.


Q: What kind of overseas related services do you provide in particular?
- When somebody wants to open a bank account abroad, we prepare the documents in English or provide certified passport translations. In addition, we act as translator or interpreter in English or Chinese if somebody intends to establish a business overseas. I used to work in Hong Kong, Shanghai, Macao and Zhuhai, so I know the business world over there.Sometimes, we organize study groups, with participants from brokerage companies, insurance companies, banks, casinos and local companies.

Q: In the field as international legal, which inquiry do you get the most?
- Most of the inquiries are for preparing official documents. For opening up a bank account or purchasing real estate, a proof of identity and residency in English is necessary. In addition, when companies accept trainees from abroad or even want to hire foreigners, we support them with the preparation of the documents.Besides that, we also have inquiries regarding international marriages or naturalization.


Q: What kind of services do you provide, regarding to investments abroad?
- When I was around 20 years old I started my job as buying agent at an apparel company. I had to go to Hong Kong, which was also my first time to go abroad. After that I was working as a freelance writer and had to travel a lot to various Asian countries for doing research.When I started as a financial planner, I had a lot of requests from clients about how to invest money and also about risk hedge of money.

Since we are here in a more rural area, investing abroad in real estate still has a little suspicious image.Indeed there are some people who do suspicious things, but I assure to conduct business only by legal means...(laughing)

I can describe my duties as an international financial planner in a very simple way. Considering the money circulation all over the world, the Japanese Yen contributes only with a few percent. But, since I believe into the Yen, I will choose a combination of risk and profitable investment to maintain 100% of my client’s assets.

Q: Why did you decide to leave Tokyo and to return to Kagawa?
- The main reason for returning to Kagawa was to help my older brother who was a real estate appraiser and judicial scrivener. When I came back, I obtained my notary public and real estate broker license and opened my own office.

Q: What kind of challenges are you faced with, considering international relations and Kagawa?
- I think the main problem is the bad accessibility by airplane. The Kansai International Airport in Osaka is pretty far away.However, compared to the past, it became much more convenient and cheaper to travel to places such as Shanghai, South Korea or Taiwan. Nowadays you can get a round-trip ticket for about ¥ 20.000.With E-Mail and Skype, also doing overseas business became very convenient.

Q: What is your vision for the future?
- I want my clients to feel free to consult me with any question they have.I think that a lot of people hesitate to consult professionals and just leave things as they are. My vision is to help those people to overcome their hurdles and provide detailed service.

There are also a lot of people who can't sleep at night because of financial or legal problems. After discussing their problems and concerns, I want to give appropriate advice as an expert.Besides that, we have a motto in our office which says: "Law does not necessarily protect the vulnerable people. For this reason, it is our duty to protect our clients!"My aim is to provide my clients with the information they need.I also want to strengthen my services in the field of inheritance matters and broaden my business activities abroad.

Mr. Kazushige Hamamoto

Public Notary Hamamoto International Legal Affairs Office, Head of Office
Hamamoto Real Estate Co., Ltd., Representative Director
HarmonyAsset FP Insurance Office, Representative

- Notary Public, Financial Planner, Real Estate Broker
- After graduation: employment at an apparel maker in Tokyo and experience in trade with overseas
- After returning to Kagawa: judicial scrivener, real estate appraiser and then self-employment
- Specialist in the areas of real estate, law and investments utilizing a huge personal network and personal experience

HP: http://www.hmmt-gff.com/