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すてきな仕事人『お仕事インタビュー』

有限会社 藤重電機 藤重直紀社長

2016年2月22日

有限会社藤重電機は、香川県内で電気工事全般を手掛けている会社です。
今回は、藤重直紀社長に、電気業界・仕事についてお話を伺ってみました。
 
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電気業界での変化は早い。だからこそ、時代の潮流を鋭く読み取ることが大事
御社ではどのような事業をされているのですか?
- 電気工事なら何でもしますよ。エコキュートやIHクッキングヒーターなど室内の工事から
ソーラーパネルの施工、電線を通す野外工事まで。電気工事に限らず、一連の作業をうち
で全部やります。
 
例えば、電線を通す工事なら土木から始めて鉄塔を立て、電線を通して・・という感じで
最初から最後まで全部やっています。土地交渉から外構工事、水道工事もやります!
なので便利屋とよく言われています(笑)。
 
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土地交渉もするんですか?かなり幅広いですね!
- 職域は広いですよ!時代の潮流に合わせて工事の内容も大きく変わってきていますから。
携帯がアナログからデジタルに移り、高速化して機械の小型も進み・・・という風に変化して
いきましたよね。
 
例えば、携帯電話の基地局はどんどん小型化していっています。かつては、基地局は山の
上に50メートルもある鉄塔を建てていたのが、今では超小型化が進み、ビルの上に立てたり、
電柱の上に付けたりできるようになりました。
 
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電気業界の変化は早いですからね。
時代の変化を鋭く読み取りながら対応していかないかんのです。
2020年のオリンピックに向けての設備投資が進んでいますし、香川県内では、今年4月に
高松で行われるG7香川や瀬戸内芸術祭2016年に向けて、より強い電波のニーズに対応
するための改修工事が必要になってきています。
 
働きたくないと思っていた父の会社で働くことに・・。
しかも、社長をする!と言ったのは僕でした。
時代の流れを読み取って事業を展開する中で職域も広がってきたのですね。
藤重社長ご自身はどのように事業を始められたのですか?
- もとは、父が白物家電を売るお店でした。でも、時代の流れで大型店ができてきて、小さな
電器屋では太刀打ちできない時代になり、電気工事も手掛けるようになりました。
僕は、父の背中を見ながら、その電器屋はしたくなかった。
全然違う道に進もうと思っていました。
そこで、高等専門学校の機械科に進みました。
 
でも、3年になった時に気づいたんです。
ここは就職には困らん学校やけど、僕は勉強もできんし、素行も悪いし、
行ける所が無いと・・・。
 
結局は、働きたくないと言っていた父の会社で働くことになりました。
電気工事は僕が仕切るようになり、19歳の時には2人雇って、営業もするし現場にも出て6人
くらいで仕事をしていました。24歳の時には、僕がやるわ!と言って社長になりました。
 
藤重社長の鋭い観察力は若い頃からの経験値によるものなんですね。
この仕事をしていて、大変だと感じる部分は何ですか?
- 肉体労働で体が資本ということです。
体を使う仕事だし、野外工事も多いですから。
なので、夕方5時になったらすぐに帰ってもらえるように、残業の無い体制づくりを大事にしています。
段取りを考えながら仕事をすることによって仕事は早く終わらせられますからね。
 
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この仕事に向いている人はどのような人ですか?
- 電気工事の仕事がしたいという人であれば経験や知識、スキルが無くても大歓迎です!
資格を取得する支援もしますし、仕事をしながら知識もスキルも習得できますから。
うちでは、入社1年目にほとんどの人が電気工事士2種の資格は取得しています。
資格取得の講習が年に2回あるんですが、会社が全費用支払って受けてもらっています。
 
学歴は問わないけど、努力する人、自分で考えて動ける人、人との繋がりを大事にできる人
がいいですね。給料が欲しい人も大歓迎です。技術職ほど、もっと効率よく仕事するために
は・・・と考えられる人の方が伸びますからね。
 
生活するために必ず必要なライフラインに関わっているという自負。
それがやりがいに繋がっています。
 
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長年この業界で仕事をされてきて、この仕事の魅力は何だと思いますか?
- やりがいを感じるのは、お客様に認めてもらえた時ですね。
認めてもらえたかどうかは、仕事を終えて次の仕事を依頼された時に分かるんです。
現場を見たお客様から「またお願いしたい。」と依頼された時は、本当にうれしく思います。
 
また、自分が手掛けた現場が目に見えてあるのもうれしいですね。
僕たちの仕事は、電気や水道などライフラインに関わっています。
生活していく上で必ず必要なものを手掛けて、社会に役立っているということは大きな
やりがいに繋がっています。
 
 
Profile
藤重直紀 (ふじしげ なおき)
 
有限会社 藤重電機 代表取締役社長
 

株式会社 杢創社 谷内智幸さん

2016年1月22日

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今回の「すてきな仕事人」は、杢創社で家具作りに携わる谷内智幸さん。杢創社は、他の家具・住設メーカー
5社と新ブランド「Aria&Aura(アリア&アウラ)」を立上げ、日本テレビ『有吉ゼミ』の人気企画「坂上忍、家を建
てる」で
坂上忍さんのキッチンに採用されています!そんな杢創社で働く谷内さんに入社したきっかけや、仕
事のやりがい、大事にしていること等、インタビューさせていただきました。

*Aria & Aura は、無垢材挽き板をふんだんに使った木製ドア、木製サッシ、木製ブラインド、ガラスパーテーション、
ビルトインファニチャー、オーダーキッチンで、住空間をトータルプロデュースするブランドです。

 
『木工の面白さはじいちゃんが教えてくれた。』
 
- 谷内さんはなぜこの仕事をしようと思ったんですか?
 
僕がちっちゃい時にじいちゃんが木で小物を作るのが好きだったんです。
小学校の自由研究ではパチンコのピンボールを作ってくれて、すごいって思いました。
そんなじいちゃんの影響ですかね。木工に興味が湧いたのは。
 
高校生になって、進路を決める時には子どもの頃から興味のあった木工に関わりたいと
思うようになっていました。特に、家具を作りたいと思ってた。でも、地元の高知には行き
たい専門学校が無かったんですよ。香川にある穴吹デザインカレッジではデザインが学
べると聞いて、香川に来ることに。ここに入社したのは、学校から紹介してもらったんです。
 
- 学校で学んだ知識を仕事に活かせてるのですね
 
それが・・・。家具が作りたくて穴吹に入ったんですけど、家具作りを学べる科が無くて、家
具の勉強はできなかったんです。僕が勉強したのは、CADやパソコンを使っての空間デザ
インなんです。今はトータルデザイン科ができているけど、その時は無かったんです・・・。
 
- え~?!では、実際に仕事を始めた時は大変だったのでは?
 
学校では見たことも触れたことも無い機械ばかりで、最初の1年くらいは指示されたことを
ひたすらこなしていったという感じです・・・。家具を作る器具の名前すら分からなかった。
家具作りではミリ単位で数えるんですが、それも慣れないし・・・。でも、2、3年目に入った
くらいからかな。なんとなく分かる感じが。そっからですかね。仕事が面白くなってきたのは。
 
 
『言葉に出ていない要望を汲み取り、反映させる。そこに仕事の面白さがある。』
 
- 具体的には、どんな時に仕事が面白いと感じますか?
 
何すかね・・・。設計士さんと打ち合わせて、その要望以上の家具を作り上げた時ですかね。
 
これまでは、ほとんどの打ち合わせは社長が行って、僕は、社長の指示に基づいて作って
いたんです。間接的に先方の要望を聞くので、先方の要望やしたいこと、色のこだわりなど
が見えてこなかったんです。でも、直接話をすることによって、先方の人が口には出していな
いけどこうしたら喜んでもらえるだろうなあっていう部分が見えてきたりするように。打ち合わせ
の話の中から、そういった要望を汲み取って、要望以上のものが出来上がって喜ばれた時には
面白さを感じますね。
 
 
- 逆に、この仕事を辞めたいと思ったことはありますか?
 
家具作りに関して辞めたいと思ったことは無いですね。でも、一緒に働いている人と合わなくて、
「ここには長いことおれんのかな・・・。」と思いながら仕事をしたことはありますね。ただ、辞めた
いとか嫌で嫌で仕方が無いということは一度も無いですね。
 
- この仕事のやりがいはどんな所に感じますか?
 
やりがい?!えーっとね。やっぱり、考える力とか、先を読んで行く力とか、人を見る力を駆使して
家具作りをして、納得のいくものができあがった時ですかね。こういう力が無かったら、家具を作っ
ていても、ちょっとした詳細部分の不一致がクレームになったりするんですよ。言われたことをただ
ひたすらしよるようではいかんのですよね。
 
言われたことだけをしよる人もおるんですけど、そうなったらつまらなくなって辞めていくんやろうな
あって思います。
 
- なかなかそういう能力を習得するのは難しそうですね・・・。
 
後輩には、自分で考えられるような教え方だったり、接し方などを心がけてはしよりますね。やっぱり
言いたいことが伝えきれん部分をなんとなく組みとってあげるのが、この仕事では大事になりますから。
 
- どんな風に教えてるのですか?
 
例えば、コンビニに寄った時には、コンビニに入る人の服装や髪形、身だしなみ、歩き方などで何を
買うか当ててみって、後輩に、ちょっとしたことに気づかせる練習をさせているんです。たばこや珈琲
を買いにきた人、お金を下ろしに来た人、食べ物を買いに来た人など、よく観察すると、なんらかの
特長が見えてくるんですよ。そんな風に観察して分析するクセがついたら、相手が言葉で発したこと
だけで理解するのではなく、言葉で伝えきれていないことを汲み取るクセがつくようになると思うんです。
 
 
『会社のためになる仕事ではなく、人生のプラスになるようなことを教えたい。』
 
- 谷内さんが描いている夢とか目標ってありますか?
 
昔は、やっぱ、自分で木工所をしたいなって思ってたんです。でも、最近はそうでもないですね。
今の会社で自分が描く木工所の夢を重ね合わせられたらいいなあって思っています。
 
今、会社が切り替わろうとしているんです。日本テレビ『有吉ゼミ』で坂上忍さんの新築キッチンに採用
されたAria & Aura(アリアアンドアウラ)の注文が増えて来てるんです。注文が増えるのはうれしい
けど、人手が足りなくなってしまうと、香川県内の店舗の仕事との両立が難しくなります。
 
なので、夢というか目標は、従業員をもう少し増やして、Aria & Auraと店舗の両方の仕事ができ
るようにしたいですね。
 
また、僕、1月から工場長になるんです。マジメにというよりは楽しくできたらいいなあって思います。
どんな仕事でも辛さがありますよね。その辛さを乗り越えられるかどうかは、職場の人で決まると思うん
ですよ。辛さを話せる雰囲気なのか、自分の内に秘めておかないといけないのかは一緒に働く人に
依ると思うんです。
 
僕は、辛いことも嬉しいことも気軽に言い合えるような職場であり続けたいと思っています。
 
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- 谷内さんは職場に対して強い思いがありますね。
 
僕の中では、会社のためになるような仕事を教えるよりも、その人の人生にプラスになるような
ことを教えてあげるのが職場だと思うんです。その人の人生がええように変わるような会社じゃ
ないといかんとうんです。
 
例えば、うちの社員で若い社員がいるんですが、彼が結婚するとなって親に紹介しに行った時
に、気配りや配慮ができんかったりしたら「どんな会社におるんやろう?」「どんな風に育ってき
たんやろう?」っていう感じになるじゃないですか?
 
社会では気を遣わないかんこと、配慮しないかんこともあるし、知っておかないといかん部分も
あるから、それを教えてあげたい。この人はなんか違うなって思ってもらえるような成長の場を
うちで作りたい。
 
- 深いですね!そこまでの思いを持たれているのですね。谷内さんから見て、どんな会社ですか?
 
うちは、どの木工所よりも明るいし面白いと思いますよ!ただただ仕事を黙々とするっていう
のも悪くは無いんですけど、良くも無いかなあと思ってて。一緒に働く仲間としてもっとお互いを
知っとかないかんし、理解しとかないかんと思うんです。
 
会社の中である程度の親密度が無かったら、作り上げたものを誰かに見せて喜んでもらったり、
失敗を口に出して言ったりするのもしづらくなりますからね。うちは、冗談も言い合うし、正直に
言い合える会社です。
 
- 最後の質問です。週末はどのように過ごしていますか?
僕、サーフィンするんですよ。夏には高知まで行ってサーフィンしてます。
冬の間は、行ったこと無い自然な所に行く時はありますね。

プロフィール
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谷内智幸さん

昭和59年3月19日生まれ。
穴吹デザインカレッジのインテリアデザイン学科を卒業後、杢創社
に就職し、木工(家具製造)を担当。2016年1月から当社工場長。
**********************
 
 
 

ロイヤルファームアカマツ 赤松美智子さん<後編>

2016年1月15日

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高松市香南町、「赤松牧場」の向かいで新鮮な牛乳を使ったジェラートを販売する「ロイヤルファームアカマツ」。TVや雑誌の取材をほとんど受けず、口コミだけでそのやさしいおいしさが広まっています。今、六次産業化に力を入れる農家や酪農家が増えていますが、このお店はいったいどのように誕生したのでしょうか。店主の赤松美智子さんにお話を伺いました。<後編>

 

当初は不安感でいっぱいだった北海道での経験が財産に!

1年間勉強してくるという約束だったので、1年後には香川に帰ることにしました。

香川へ帰ったら、店を出そうという話になってました。

もともと両親は他の牧場がソフトクリームやアイスを売り出したのを見て、「やりたい!」と

思ってたみたいです。ただその頃は私も中学生でしたし、両親も牛の世話で忙しかったので、

そんな余裕はなかったんです。

 

私が北海道へ行くとなったとき、「とうとうやる気になってくれたか」という思いだった

のかな、と今になって思います。母も病気だったし、飛び出させてもらってまで学んできたこと

はやっぱり「見せたい」と思うじゃないですか。

それで、「よし、やるぞ!」ということになった。勢いでしたね。

 

―お店をはじめて、不安に思ったこと、難しいと感じた壁はありましたか。

それは、不安でしたよ。北海道で作ってたのはシュークリームとかの洋菓子。

ジェラートはやったことなかったし、専門学校へ行ったといってもパンを作ってたんで

分野が違う(笑)。最初は、だいぶ自信がなかったですね。

でも自信が無い分勉強したし、何度も失敗を繰り返して、試行錯誤を続けましたね。

それで、挑戦しようと思って、ジェラートワールドツアーの東アジア地区大会に応募しました。

 

そしたら、予選に通ったんです。16人が通過したのですが、ジェラート一本でやっている方とか、

プロばっかりでした。そんな中に私が入ってたです。

その時ですかね。私はここまで自分でやれたんだ、とほっとしたのは。

これまでやってきたことは無駄じゃなかったんだなと。

思考錯誤を続けていたジェラートづくりが楽しくなりました。

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―赤松さんが働くうえで大切にしていることはありますか?

「うしろめたい商売はしない」ということですね。もしうまいこと人を騙せたとしても、自分だけは

それを知ってるでしょ。嘘ついてまでお金を稼ぐのも心が痛むし、人生を儲けるためだけには

使いたくない。

 

北海道での1年で学んだことは大きな財産で、今も大切にしています。

「辛い辛い。帰りたい!」と思った時期もあったけど、振り返って財産だと思えるのは

給料だけではない何かがあったからだと思う。今でも職場の人に連絡をしたりしています。

それは、宝ですね。

これからの長い人生のたった1年でしたが、あの1年は私にとって特別です。

 

―一緒に働く人にどんなことを求めていますか?

自分が楽しむための努力をする姿勢はどこへ行っても必要だと思います。

北海道で働いて、「居心地のいい場所は自分でつくるもんなんだ」と実感しました。

同じ職場で同じように「辛い、辞めたい」と言っていた人がいる中で、私は楽しいと思えるよう

になったけど、途中で辞めていった人だって何人もいましたから。結局、本人の気の持ち方

次第で楽しくもなるし辛いままのこともあるんだということを学びましたね。

自分次第でなんとでもできるんだと。

 

また、「あそこで働いてよかったな」と思える関係づくりは大事にしたいなと思いますね。

東アジア大会に応募したとき、二人のスタッフに「もし通過したら東京行きのチケットをプレゼントする」

と言ってたら、本当に予選に通って(笑)。予選会場にいたら、二人が駆けつけてくれて、手伝って

くれたんです。その時は本当に嬉しかったですね。

「私には、こんなにステキな仲間がいる!」って、誇りに思いました。

そう思える人らと一緒に仕事できて幸せ者だなあって思ったし、これからもそういう人と働きたいなあ。

 

「いなくなって悲しい」といわれるより、「いなくなって困った」と言われたい

赤松さんから、いま仕事を探している人になにかメッセージをお願いします。

仕事に対する考え方ですが、私はせっかく働くんだったら、足あとを残したい。

私がここでいたと言う足あとを。私の代わりになる人はいないと思ってもらえる

ような何かを残して生きていきたいですね。なので、極端な話をすると

「あの人がいなかったら、明日から仕事どうするの?!」って困ってもらった方が

嬉しいですね(笑)。

なので、数か月くらいで辞める人の気持ちは、なかなか理解できないですね。

自分で選んだ仕事だったら、一旗揚げるまではふんばって欲しいですね。

そこから見える景色は変わってくるから。

 

最後に、赤松さんの休日の過ごし方を教えていただけますか?

定休の水曜日は資材を買いに行ったり、髪を切りに行ったり、半分仕事で半分プライベート。

あと火曜の晩は予定が無いとそわそわします(笑)

料理をつくるのは昔から好きですね。よくパーティーしてます。

正直、料理だけしてたらいいよといわれたら、ずっとできる自信がありますよ(笑)

 

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ロイヤルファームアカマツ 赤松美智子さん<前編>

2016年1月15日

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高松市香南町、「赤松牧場」の向かいで新鮮な牛乳を使ったジェラートを販売している「ロイヤルファームアカマツ」。TVや雑誌の取材をほとんど受けず、口コミだけでそのやさしいおいしさが広まっています。今、六次産業化に力を入れる農家や酪農家が増えていますが、このお店はいったいどのように誕生したのでしょうか。店主の赤松美智子さんにお話を伺いました。<前編>

 

「ものづくりって、こんなに面白いものなんだ!」

 

―赤松さんがこのお店を持とうと思ったきっかけはなんだったのでしょう?

実は、最初からお店を持とうなんて考えてもみませんでした。

でもなんかずっともやもやしたものがあって・・・。

牧場で搾った牛乳って、「赤松牧場の牛乳」として売られるわけじゃないんですよ。最終的には

複数の牧場の牛乳と混ざって一つの商品になるんです。どんなにこだわって、いいものを

作ったとしても、混ざって分からなくなってしまうんです。

なので、両親の仕事する姿を傍で見ながら、

「何のために頑張るんだろう?」

「誰のためにこだわるんだろう?」

ってずーっと思ってました。もっと直に反応が返ってきたらいいのに・・・と。

それでもまさか自分のお店を持つなんて思ってなかったですけどね。

もともと料理は好きでしたし、食品関係の仕事に就きたいとは思ってましたが、

普通に就職して仕事するものだと漠然と思ってました。

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赤松牧場の乳牛たち。ここで搾られた新鮮な牛乳がジェラートになっている。

 

直接的にお店を持つきっかけ、とまでは言えないですが、ものづくりの面白さを身をもって

知ったのは学校の実習でした。私は食品関係の大学に行ってたんですけど、そこで職場

体験ができる実習があったんです。どうせなら、なかなか就職できないような所を書いて

みようって遊び心もあって、東京の有名な洋菓子店を書いたんです。

そしたらそこに行けることになって。

実習って言うけど、私みたいな素人には何にもできないんです。

知らない人もいないくらいの有名なお店ですからね。

何もできずにボーっと立ってるしかなかったんですが、何もできないなりに、

材料や仕事ぶりをじっ~と見てたんです。

原材料がずらーーっと並んでる。

卵とか粉とか・・・。

それが目の前で、見たことないような繊細で素敵なお菓子に変わっていく。

「うわっ、ものづくりってこんなに面白いんだっ!」て感動すら覚えました。

魔法みたい!って。

私には、最後にそのお菓子に飾り用のチョコレートを飾らせてくれたんです。

それが店頭に並んだとき、ちょうど高そうな服に身を包んだご婦人が来て

「あら、それ貰おうかしら」って。もう大興奮でしたね(笑)。顔が熱くなって、

「それそれ!それあたしがチョコレートを挿したんです!!」

って言葉が喉まで出そうになりました。

私はチョコレートしか挿してないんですけどね(笑)

「ものづくり、こんなに面白い仕事は他にない!」と思いましたね。

それで大学卒業後に専門学校に行くことにしたんです。

 

―そのときからお店を持とうという想いが?

いや、それはまだです(笑)

専門学校を卒業してさあ就職、となったときに祖母が病気をしたので、いったん

香川に帰ってきたんですよ。

それで牛の仕事の手伝いをしたり、祖母の介護をしたりして過ごしました。そういう日々を

送りつつ、自分の中では焦りが出て来ていましたね。同い年の友達がみんな働いて自分

の力で稼いでるのに、私はまだ自立ができていない・・・。なにしてるんだろう・・・。と。

祖母が亡くなった後、「家を出る」と決めたんです。酪農関係の知り合いが口を揃えて

「行くならここにしたらええ」とすすめてくれたのが、北海道のある牧場でした。

それで、「勉強してくる」と、単身、北海道に行くことにしたんです。

 

はじめて行った牧場で、足がすくんだ。

酪農家の可能性を感じた。

1月にまず挨拶にだけ行ったのですが・・・。

はじめて行った牧場のその前に立って、足がすくみました。

こじんまりとした小屋なんかじゃないんですよ。全面ガラス張りの、ハイセンスな建物が

どーんと建ってて。真っ赤なんですよ。

一面銀世界で、雪しかない中に真っ赤なその建物がそびえている。

そこでたくさんの人が働いて、洋菓子やら、ケーキやら、色々作ってて。衝撃でした。

「これが牧場の直営店?!」って。

酪農家の可能性を全身に感じて震えました。

 

―単身、北海道に行くことに不安はなかったですか?

「一人で行く!」って言ったわりに、不安でしたよ。1月に挨拶行って、

いったん帰ってきて荷物まとめて車で出発したのが3月でした。

香川から舞鶴まで運転する間、ずっと「今ならまだ帰れる」「今ならまだ帰れる」って思ってました。

腹を括ったのはフェリー乗って後ろにピタッと車を駐められた瞬間でした。

もうこうなったら帰れない・・・と(笑)

 

北海道では色んな人に「仕事とは」「働くとは」ということを学ばせてもらいました。

最初は本当に辛かったですよ。家族もいない、友達もいない、会社は同い年だとしても

先輩でしょ。「何したらいいですか」と聞いたら「自分で考えて」と言われて・・・。

入社したてで何も分からない自分にできることって掃除ぐらいしかないから掃除してたら、

「今やる仕事じゃないでしょ!」と注意されるし。入ってからしばらくは毎日つらかった。

でも自分が飛び出して、1年はそこで仕事をすると言い出したので、「辞める」って泣いて帰る

わけにはいかないでしょ。

 

とにかく人より早く仕事覚えよう、人より早くできるようになろうと思ってました。

教えてもらう時ってメモをとるものじゃないですか。誰より早く覚えたくて

自分の仕事をやりながら、他の人の様子をちらちら観察してました。

「あのタイミングで粉入れるんだ。」「あの人今ミキサー低速で回してる」という流れを

逐一観察したんです。家に帰ってもう一回整理して。流れが頭に入ってるので、

教えてもらう時にはそれが確認作業になるんです。教えてもらったら、

すぐ「わかりました、やります」って言える。

最初は本当に辛かったですけど、香川に帰るころには楽しくて帰りたくなくなってましたね。

 

―仕事が楽しくなったのは、いつごろだったのでしょう?

ゴールデンウィークの一番忙しい時期を乗り越えた頃かな。

連休になると、観光バスが何台も停まる。お客さんが押し寄せててんやわんやになるんですよ。

ちょうどその前に、上司がポンポンと2人辞めたんです。

頼る人が居ないので不安でした。

連休はもうとにかく忙しかった。忙しくて、忙しすぎて、やるしかない。

でもそこを越えたら、追い詰められてたのがふっと軽くなりました。

「あ~、私が一番忙しい時期をやりきったんだ!」っていう自信が湧いてきて。

そこからは仕事が楽しくなりました。

<後編>へ

有限会社アール・ツゥ 長友恵子さん

2016年1月 7日

 

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香川にこんなすごい人が!?世界各国の職人が技を競うイギリス王室が舞台のフラワーショーで、日本人初のゴールドメダルを受賞したのは、高松市でエクステリアやガーデン設計施工の会社アール・ツゥを営む長友恵子さん。もともとは下請け100%だった小さな会社は、どのように変わっていったのでしょうか。長友さんにインタビューを行いました。

 

下請け100%から下請け0%へ。

「自分たちで、お客さんに合ういいデザインをやりたい」

 

―長友さんは、なぜ起業しようと思ったのでしょうか。

 

それ、たまに聞かれるんやけど、実は「起業しよう」と思ったことないんよ(笑)

 

前はミサワホームでばりばりやっとったんですよ。でも子どもがいたんで、予定が合わなくなってきて。それで会社は辞めることにしたんやけどね。

ありがたいことに、そこで縁が切れなかった。それまでガツガツ働いてたうえに、担当部署に私しかいなかったもんで(笑)、「家でやってくれたらええよ」って、引き続き上司が仕事の面倒みてくれて。よその会社さんも下請けの仕事を持ってきてくれたりしてね。

 

―他の会社の方もですか!そんなふうに辞めてもお仕事を任せてくれるというのは、信頼あってこそですね。

 

むっちゃ働いとったからね、ほんま(笑)

というのも、実は1998年当時で3Dパース(※)できるのは香川で二人しかおらんかったんよ。有名な先生と私だけやったんです。

 

※ 3Dパース・・・平面の間取り図を3Dに起こすこと、またはその図。CGで絵として見せられるため、顧客からも建物の外観・内観の完成図がぐんとイメージしやすくなる。

 

―二人だけですか!?

 

そうよ~。今は3Dパースなんか当たり前なんやけどね。当時はレンダリング(※作成した3Dの図形に色や質感、光源をつけていくこと)に8時間とかかかっとったね~。専門の先生に頼んだら30万円くらいいるところを、私がいたから安上がりやったというわけです。当時はほんとに貢献しとったんですよ(笑)

 

そんなわけで、「起業しよう」と思っとったわけじゃなくて、もらってきた目の前にある仕事をこなしているうちにいつのまにか・・・ていう感じやったなあ。

最初は設計だけ、下請け100%やったしね。

今は施工もするし、下請けは基本的にゼロにしとるけど。

 

―下請け100%から、下請けをゼロへ転換するきっかけはなんだったんでしょう?

 

下請けってね、お客さんの反応がじかに見れないんですよ。お客さんに喜んでもらえない。いいデザインを提案したりもできない。もくもくと施工して、なにかあったら元請けさんのかわりに謝りに行く。そういう仕事ばっかりやったんですね。

せっかく施工しても名前も出ないし。

たとえば、今は改装しとるけど、国際ホテルにある無印のモデルハウスの庭。あれもうちが施工したんですよ。

 

―そうだったんですか!?

 

ねえ~、ほら、知らんでしょ(笑)下請けって、表にはぜんぜん出ない。当時はほとんどのモデルハウスの庭をうちがやってたんやけど、どれも名前なんか残っとらん。名前が出るのは、謝りに行く時ぐらいで・・・・・・

これではだめやわと思って。

何のためにやっとるんやろうって。職人さんだって頑張ってやってくれとんのに、反応も聞けん。そんな仕事のやり方は、「なんか違うわ」と思ってね。

それで下請けは減らしていこう、自分たちでお客さんに合ういいデザインをやりたい、ということになったんよね。

 

―その後アール・ツゥさんは、イギリス王室で行われるハンプトンコートパレスフラワーショーでなんと日本人初のゴールドメダルを受賞します!

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2010年、英国王立園芸協会主催のフラワーショーで日本人初のゴールドメダルを受賞!

 

長友さんはどうしてこの賞に応募しようと思ったのでしょう?

 

カチンと来てたから(笑)

 

―えっ?(笑)

 

当時、色んな大手さんにデザインを次から次へと真似されたんですよ。作ったら作ったそばから。

私も腹が立つから調べたんやけど、実は不動産とかエクステリアって著作権がないんやって。ぶっちゃけ、今瀬戸芸で展示もしとる安藤忠雄さんの建築を私がやっても法律違反にはならんらしい(笑)。でも安藤さんは名前が知られとるし、真似したってそんなん誰でもわかるからやらんでしょ。

名前が知られとらんからって真似されて、泣き寝入りしかできんっていうのは悔しいやないですか。馬鹿にされとるみたいやもん。それで、実力を知ってもらわないかん!と。

カーッときて応募した(笑)。

 

香川でやっているから、「JAPAN」じゃなくて「香川」を造りたい。

 

―入賞しないと!という思いになりますね。

 

いやいや。それが、それどころじゃないんですよ。「とりあえず完成だけはさせないかん!」って、切羽つまっとって。誰も賞のことなんか考えてなかった(笑)まず完成するかどうかが心配やったんです。

それに、隣はずっと取材を受けとるんですよね。うちは特に注目されとるわけでもなかったんで、入賞なんかできるとは夢にも思っとらんかったんですよ。

ただ作品をちゃんと最後までつくりきろう、それだけを考えるので精一杯やったから。

 

賞とったときも、私、作品のとこにおらんかったんよ。

造るばっかりで観光もできんかったし、「せめて他の人の作品観てまわろうか~!」ってうきうきと物見遊山気分で周って帰ってきたら、「ゴールドメダル」のシールが貼られとって。誰もおらんで作品だけがBBCにずーっと流れよる (笑)通訳さんが撮影してくれとったんですけど、審査員がすごい褒めてくれとる。「なんやあ~惜しいことした~!」と思ってね。いたら映っとったのに(笑)

 

―エピソードが全部濃厚ですね。普通の人は絶対経験できないですよ(笑)

 

武勇伝はいっぱいあるんよ(笑) イギリスの話を聞きたい方は、お店に遊びに来て下さい(笑)

 

―イギリスで開かれた大会なので、英国風の庭園のコンテストなのかと思っていました。

お写真を見ると、造られたのは日本風の作品だったんですね。

 

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そうやね。実は、日本って言うか香川なんやで、これ。

漆器は全部香川のだし。使っとる石も庵治石。

この作品のイメージはこんぴらさんなんですよ。奉公さんがおって。傘は五人百姓でしょ、下の石積んどるのは石垣で・・・こんぴらさんをそのまま持って行った。

そりゃJAPANの方がイメージはしやすいやろうけど。

私らは香川でやっとるんやから、JAPANじゃなくて香川を造りたかったんですよね。

 

現場ガールを増やしたい!今は建築や施工も女の子ががんばっている。

 

―長友さんが働く上で大切にしていることはなんですか?

私らは芸術家じゃない、ってこと。

芸術家は自分の表現したいものを表現できる。でもデザインっていうのはお客さまの希望にぴったりのものを提案する仕事。だから、うちは和風も洋風もなんでもやるんですよ。

あと、解体の資格を持ってるんで、お客さんがおうちを解体するところから入らせてもらって、使えそうなものを残しておく。その思い出の品を使ってリガーデンするっていうのが人気です。新しいものって買えば手に入るけど、古いものって一個一個違う。それをゴミにして捨てるんはもったいないやろ。

賞のときも、造ったあとは壊すんやけど、うちは資材をフリーで持ち帰ってくださいっていうふうにしたんです。全部チャリティーにして、近所で欲しい人とか修道院に持って帰ってもらった。

それも好評やったね。

 

それから「メリハリ」やな。私、家庭に仕事は持ち込まんのです。他の子たちにも、残業、残業じゃなくて好きなことして欲しい。人生を大事にして欲しいな~とは思ってますね。そんなわけで昨日もみんな6時帰宅やし(笑)

 

―逆に、この仕事で難しい点などはありますか。

難しいっていうか、最近は「もっと安く、もっと安く」って傾向になっとるのは気になるなあ。

本物志向じゃないね、今は。

一生ものやし、うちはちゃんとしたものを使わないかんと思ってるんです。

でも最初は分かってくれんのですよね。他の会社の営業さんが来て、「うちなら安く出来ます」「それは上乗せされてますよ!」って言われたら、そっちに心が行っちゃう。

それで時間が経ってみたら不具合が出てきて、「これ、直せますか」とうちに来られることが増えたんです。言ってくれた通りでした、と。

もちろん、高ければ高いほど良いわけじゃない。でも適正価格というのがあると思うんですよ。安くするにはどっかでなんかを抜いとるってこと。

少なくとも消耗品と一生ものの買い物くらいは考え方を分けたらええのにな~、と感じてますね。ものの本当の価値をもう一度考えて欲しい。

 

―長友さんが思う、「この仕事だからの魅力」とはなんでしょう?

自分がつくったものがずっと残っていくことやね。ブロックひとつにしても「このブロックは自分が積んだんや!」って自信になるでしょ。それが増えていくっていうのはほんまに嬉しいですよ。それは、ものづくりの醍醐味やろうなあ。

 

―今まで作ったものが形として残るのは嬉しいですね。

これから先は、どんなことをやりたいと考えていますか?

せっかく庭もスペースもあるし、この事業所で英国風カフェをやる予定なんですよ。

 

あと、現場ガールを増やしたい。

今、建築業界は外国の人か女の子ががんばっとるんですよ!

うちも女の子3人が現場行ってます。一人の子は実家が造園をやってて、でも今は剪定とかだけじゃやってけない、エクステリアを習いたいというので来てくれていて。うちなら働きながら3DCADも学べる。先生に来てもらって講習をやってます。

力仕事やけど、それも楽しいみたいよ。やせてお金ももらえるって。3人が筋肉の見せ合いしよるわ(笑)

 

―施工や建築で女の子が増えている、というのは驚きました。

これから一緒に働く人、求職者へのメッセージはありますか?

若い頃って、何がしたいかなんてすぐに見つからんよね。

でもそういうもんやと私は思います。私だってもともと今の仕事をしようと思っとったわけじゃなかった。最初は経理やっとったもん(笑)これもやってみな、あれもやってみなと上司が提案してくれたことに挑戦してみて、目の前の仕事をきっちりきっちりとやってたら色んなことが身についた。私は、働く中で自分に合う仕事を見つけていくことにウェイトを置いてほしいと思ってますね。合わんなと思っても、頑張ってやってみれば面白くなってくることもあるし。

やってきた経験は自分のもんやけん。

学ぼうとしなかったら、そんだけ差は空いてしまうけどね。

 

 

―最後に、長友さんの休日の過ごし方を教えていただいてもいいですか?

私は休み、ないんよ(笑)でも仕事は早く終わるから、晩は色々していて。

絵を描いたり、日舞、お蕎麦づくりとか。習い事大好きなんですよ。前はワイン、チーズ、その他色々やっとったなあ。

私、ボーっとできんのよね。動いてないとダメなタイプらしくて、昔から寝ない。好奇心が半端ないんやろうね。

沖縄で海を眺めてボーっと・・・っていうのにほんまに憧れとるんやけど、そのときになったら絶対泳ぎに行くやろうなー(笑)

ながともさん11-2.png

 

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